おむすびマガジン 第45085号
2022.10.11発行

【カミヤミスジクラマエ インタビューvo.1】NOMURA SHOTEN 野村空人さん

蔵前のなかでも、ちょっとディープな「三筋」エリア。2022年の9月、この地に新しい文化の発信地となる「カミヤミスジクラマエ」が誕生しました。ここで入居されているのは一体どんなお店・人なのか。このインタビュー企画にて、各階の入居者の方にこの場所を選んだ理由、ご活動の経緯などをお聞きします。第一回は、1階で酒屋さんと角打ちバー「NOMURA SHOTEN」を営業されている野村空人さん。読んだらきっと、三筋が「ちょっと気になる」から、「行ってみたくなる」まちになるはずです。

高校卒業後、単身でロンドンへ

――野村さんは、高校卒業後ロンドンに住まれていたんですよね。どんなきっかけがあったのでしょうか。

野村さん:高3のとき、美大を受験したのですが、落ちてしまって。親が「義務教育が終わったら独り立ちしなさい」というスタンスだったんですが、どのみち家を出るのであれば、いっそ新しい環境に身を置いてみる方が面白そうだなと。

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――ロンドンではどのように過ごしていましたか?

野村さん:英語と美術のどちらも学べる学校に通っていたんですが、英語の先生と合わず、最終的には退学してしまいました。学校に行かなくなっても、生活のためのお金がかかるので、働かないといけない。そこで友だちに相談したところ、紹介してもらったのがバーでした。

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――海外にもチェーン店や日本食レストランなど働きやすそうなお店がいくつもありそうなイメージですが、そのなかでバーを選んだのはどうしてだったんでしょう。

野村さん:実は日本食のお店も、ちょっと働いたことがあるんです。だけど、合わなかった。せっかく海外に来たのに、英語を話す機会が少なかったりして、結局お店の中では日本というか。だから、現地の人がいるようなバーの方が合ってましたね。おかげで英語も上達しました。

“伝えたいことが伝わらないもどかしさ”を乗り越えるための、「自分の店を持つ」という選択

――帰国後は、「Fuglen Tokyo」のバーマネージャーとしてご活躍されたのち、フリーランスのバーテンダーとして活動の幅を広げられています。また、カウンターにとどまらず、「ABV+」を立ち上げ、コンサルタント業務もされていらっしゃいますよね。バーテンダーの新しい働き方を切り拓いてきた野村さんが、今お店をつくりたいと思われたのはなぜだったのでしょうか。

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野村さん:コロナになって、コラボレーション企画で家飲み用のお酒を作ることになったり、ボトルカクテルだったりラムだったりと、お酒のプロデュース業が増えたんです。そのこと自体はとても嬉しかったんですが、自分がプロデュースしたお酒をどう売っていくかは、扱ってくれるお店に委ねている部分で。自分たちのECで売るにも、「伝えたいことが伝えきれてない」っていうのを肌で感じるようになったんです。どうしたらその悩みを解消できるかな、と2020年の終わりごろから考えているうち、翌年には「自分でお店作った方が早いかもしれない」と思うようになりました。

――伝えたいことを伝えるには、自分でお店を持つのが最適解だ、と。

野村さん:そうです。でも普通のバーを作るのでは、自分の中で面白みがなくて。うちの両親の母方の家系が乾物屋だったのは知ってたんですが、父の実家は自営業じゃないと思ってたら、父親の母、つまり俺のばあちゃんの実家が酒屋さんをやってたらしいんです。そのルーツを知ったときに「酒屋ってもしかしたらありかも」と。

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野村さん:売り方が全然違うんですよね。バーテンダーはお酒を加工してつくる人、酒屋は加工されたお酒を売る人。「お酒をお客さんに売る」という点においては一緒なんだけど、その方法が違う。じゃあ酒屋さんやろう、その体験の場として、バーではなくもっとカジュアルな空間にしよう、と決めて、立ち飲みできる形態にしました。

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――なるほど。では店名である「NOMURA SHOTEN」は、酒屋さんありきでつけられていたのですね。NOMURA SHOTENさんは5月から営業されていますが、実際にやられてみてどうですか?

野村さん:想像していた以上に地元の方が来てくれています。リピーターさんも多くて、毎回バオ(中華まんの皮におかずをはさんだもの)を食べてジンソーダを2、3杯飲んで帰られる女性とか、買い物だけビール買って、とかワイン買って帰る方とかもいらっしゃいますね。

カウンターから見える景色が、この地でお店を構える決め手になった

――きっとお店を構えるときに、いくつか場所を検討されたんじゃないかなと思ったんですが、ここに決められたのはなぜでしょうか。

野村さん:一言で言うと目の前にある三筋湯です。でも、もともとは世田谷の池の上から梅ヶ丘あたりを探していました。あの辺は住んでいる人が多い分、お店も多いので、探したものの結局見つからなくて。そんなとき後輩がomusubi不動産で働いてると連絡をくれ、担当の日比野さんにつないでもらったら、「世田谷ではないんですが一件あります」と。それで、場所どこですか? って聞いたら「蔵前です」と。当時はこっち(東のエリア)の方を検討していなかったので、最初は「蔵前ないです、すいません」って即答してしまいましたが(笑)。

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――即答だったんですね(笑)。

野村さん:日本橋にあるK5の「青淵-Ao-」をプロデュースさせてもらったとき、西側に住んでいる人に東側へ来てもらうのってやっぱり少しハードルが高いだろうな、と感じていたんです。これまで世田谷とか渋谷の方で働いていたことが多かったので、そこでつながった知り合いを呼びづらいことも気にかかってて。

――でも、そこから「この場所がいい」と思う理由が見つかったんですよね。

野村さん:今、一緒にこのお店をやっている山下が、「一度見てきたら? 見るのはタダだし、行ったらいいところかもよ」って言ってくれたんです。実際見にいってみたら、この建物から見える風景がすごく好きになってしまったんですよね。

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NOMURA SHOTENから見える三筋湯

野村さん:それに、物件の情報を見たとき「遊べそうだな」と直感的に思ったんです。当初やりたかったのは、酒屋さんが目の前にあって、裏にバーがあるっていう構造だったので、それをどうやってこの場所の枠組みに落とし込むかはちょっと大変だけど、ここは実験場にして、いろんな人が交わる場所にしたら面白そう、と。構想しているうちに、だんだんカミヤミスジクラマエでお店をひらくイメージが湧いてきました。

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野村さん:三筋湯へ行った人が、そのままここで飲めるっていう流れがつくれるのも、すごくいいなと。お酒が並んでいるこの棚も、銭湯から出た人から見えるように作りました。「ここ飲めるの?」って気づいてもらえたらいいなと。

カミヤミスジクラマエを、さまざまな人がまじわる「交差点」のような場所にしていきたい

――これから野村さんがこの場所でやっていきたいことはありますか?

野村さん:まだ言語化しきれていないんですが、いろんな人が交差するような場所がいいなと思っています。同業の人だけでなく、異業種の人だったり、はたまた、お客さんだったり。最近だと、HERENESSっていうランニングウェアをやってるブランドと、ランニングして銭湯へ行ってここで飲む、っていう提案をしたり、コラボTシャツを作ろうとしています。

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野村さん:あと、お店で使ってるグラスも、この近くにあるヴィジョングラスさんっていうメーカーとのコラボで。もともとヴイジョングラスが好きで、このグラスを使いたいといろんな人に話していたら「空人くん、ヴィジョングラスの事務所、同じ町内だと思うよ」と教えてもらい、そんなことある? ってびっくりしました(笑)。この辺りの地域に根付いている人とも、どんどん一緒にコラボしていきたいですね。

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――同じ町内!(笑) すごい偶然ですね。これから、カミヤミスジクラマエやこのエリアにどんなことを期待していますか?

野村さん:これから2階、3階がオープンするので、ここが一棟動き出したときがたのしみですね。いろんな人がくると思うので、建物全体も交差点のひとつになるかなと想像しています。カミヤミスジクラマエが盛り上がることで、周辺に飲食店やふらっと立ち寄れるお店も増えて、回遊できる場所になっていくといいですね。


取材・執筆:ひらいめぐみ 撮影:奈良岳